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素晴らしきオーディオ人生
オーディオ人生は素晴らしい。
虚音と戦う「勇気」、 勝利を生み出す「想像力」、 勝利するまで戦う「忍耐力」、 これを支える「強靭な精神力」、を要す。 戦う相手は「人間」ではない。オーディオの「電気現象」だ。 幾重にも重なる不可解な謎に満ちた「電気現象」だ。 それを解明する。それがオーディオだ。 「虚音」に打ち勝つオーディオをやろう。 「バイタルサウンド」で勝利への道は開けている。 #
by vitalsound
| 2007-02-19 19:54
オーディオの宝庫はケーブル
オーディオの現象は多元的・多面的・多様的である。
だから、オーディオは多元的・多面的・多様的に攻める。 このことを認識しておくことはとても重要である。 どんなことでも音は変わる。その一つの断片事実を誇張して語ってもザル穴 だらけの主張に過ぎない。オーディオを攻めるには、多元的・多面的・多様的 な戦法で攻めなければ勝ち目はない。おろそかに出来るものは何一つない。 戦いで生じる課題、矛盾を一つ一つ解決しなければならない。 解決したと思っても、まだまだ解決にはほど遠いこともある。 初心者はスピーカーが最重要と言う。中級者はアンプが最重要と言う。 打つ手のない者はセッティング、ルーム・チューニングの遊びに興じる。 確かに、スピーカーは音の骨格(体格)を形成し、アンプはそれに血液を注ぐ。 そういう意味で、確かにアンプがスピーカーより上位(重要な要素)にある。 ケーブルは血管に相当する。多分、人体でも主血管が最重要であろう。 さまざまな人体器官を正常に機能させるのは、血液と血管だろう。 オーディオの血液は電気、オーディオの血管はケーブルであろう。 オーディオの上級者もケーブルの重要さになかなか気がつかない。 どんどん多元的・多面的・多様的にオーディオを攻めていく、詰め将棋のよう に追い詰める。遂にオーディオの達人はケーブルの重要さに気がつくだろう。 そうだ、ケーブルと流れる電気が最も重要なオーディオの要素だ。 ケーブルが電気(音声信号)の質を改善する。 ケーブルは「オーディオの宝庫」である。 #
by vitalsound
| 2007-02-18 21:01
音楽とオーディオ人生の終焉
人生を終える時、病床の中で人生を振り返る。
その時、きっと豊富な知識の蓄積を思い起こすことはないだろう。 嬉しかったこと、感動したこと、その感情の蓄積を思い起こすだろう。 音楽に感動した蓄積が終焉を迎えようとしている。 ありがとう、我が人生、いい音でいい音楽を聴いてきてよかった。 大切な人生の宝、「音楽の感動」と一緒に葬られることを望むだろう。 心に秘めた名演奏を心に奏でながら死んでいくだろう。 #
by vitalsound
| 2007-02-17 20:12
「オーディオ」と「音楽」の常識的な概念
「音を聴く」のが「オーディオ」で、「音を楽しむ」のが「音楽」である。
そうすると、「音を聴く」のが楽しければ「音楽」であり、「音を聴く」の が苦しければ当て字の「音が苦」となるだろう。 ところで、「オーディオ」は「音楽」ではない。 だから、苦しみもあり、楽しみもある。 本来、「楽しいこと」は「楽(らく)なこと」であるが、 「苦しみ」を追求すると「楽しみ」になったり、 「楽しみ」を追求すると「苦しみ」になったりする。 だから、オーディオは「面白い趣味」である。 「音が悪くても音楽が楽しい人」には「音楽の幸福」が訪れる。 ところが、「音が悪ければ音楽が楽しめない人」には「オーディオが仕掛 ける罠」が待っている。そして、その罠に嵌ると「音楽の不幸」が訪れる。 人(ひと)様々、音(おと)様々、音楽(おんがく)様々、と人は言う。 どのレベルで良しとするかは自己責任、それぞれ各自のレベルで決まる。 何を選ぼうとも、何をやろうとも、個人の自由、拘束も罰則もない。 「自己の音と音楽の自由の尊厳」は守られ揺るぎない。 そして、「音楽とオーディオ人生」の生涯を終える。 #
by vitalsound
| 2007-02-16 19:10
「耳で聴く音楽」と「心で聴く音楽」
音楽やオーディオの「理解」は「耳で聴く音楽」で得られる。
音楽やオーディオの「感動」は「心で聴く音楽」で得られる。 「耳で聴く音楽」よりも、「心で聴く音楽」の方に「音楽を聴く価値」がある。 心に「感動」を再現するオーディオをやろう。 #
by vitalsound
| 2007-02-15 11:24
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